moyatsuki’s blog

日記を書きます

220117 きな粉は塩

昨日ウーバーで頼んだラーメンの汁を捨てるのが勿体ないと思ってそのままにしておいた。朝、見てみるととんでもない量の脂が固まっていた。脂を避けてスープだけを取り出しておじやを作った。脂を取ったとて、果てしなくジャンク感がある。ラーメンの暴力性は油分だけにあらず。

 

1週間ちょっと前に微熱が出た。三連休中、ほとんど布団の中で過ごし、久しぶりに泣いた。誰かに、いや誰かという漠然したものではなく、直前に同じ場所にいた人に移してないかということが不安で仕方なかった。マスクはしていたし、近くで喋っていたわけでもないが、ドアノブから、プリンタのタッチパネルから、水道の蛇口から、移らないだろうかと不安になった。起こってしまったことをどうすることも出来ず、ただ後悔と申し訳ない気持ちに苛まれてメソメソ泣いていた。それに呼応するように、様々な申し訳ない感情が湧いてきた。人にかけた迷惑、人からの愛情に気づけていなかったこと、自己の世界に閉じこもっていたこと。

怖くなってコロナ感染のダイヤルに電話した。自分の声が震えていることに気づいてより不安になる。対応がとても優しく体を気遣ってくれた。

怖くなって救急病院に行った。微熱で他の症状もないということで、看護師さんにすごい勢いで別室に連れて行かれた。むしろ感染リスクが高いその場から連れ出してくれた。パルスオキシメーターで正常であることを測ってもらい、今どうした方が良いか話してもらい、帰った。

世界は優しい。

今週、幸い周りに感染したという人はいなかった。毎日誰かが体調不良にならないか気が気でなかったが、なんとかその日が終わった。

今日pcr検査を受けた。本当は帰りに色々な所に寄りたいと思ったが、もし陽性で、また誰かへ感染させた可能性があるかもということに苦しみたくないと思い、家にとんぼ返りした。そういえば昼ごはんを食べていない。

昼に受けて当日には結果が出るという。いつ結果が来るのか気が気でない。何度スマホを見たか。迷惑メールボックスに入ってないかも何度も見る。こんなに遅いということは何か良くないことがあったのではないか。そういう疑念も湧いてくる。18時30分メールが届く。メールを開くのが怖いという気持ちもあったはずだが、その感情よりも遥かに強い早く今の不安定な未確定な状態から解放されたいという気持ちが瞬時にメールを開かせる。恐らく誰にも移さずに済んだのであれば、もし陽性であったとしても、それを淡々と受けるだけだと思っていたこともあるだろうか。結果は陰性だった。陰と陽が両方こざとへんでホントにあっているのか少し分からなくなるが、なんども見返して、陰性ということを確定させる。少しして、自然な笑みが出た。

 

果たして本当に感染していなかったかは分からない。感染してたけど治癒したのかもしれないし、陰性というのも100%ではない。

そして、コロナでなければOKなのか、コロナでなければ人に移しても大丈夫なのか、コロナとコロナ以外に本質的な違いはあるのか、人をリスクに晒すことの意味、その程度問題が分からなくなる。

ゼロリスクはあり得ない、生きるということがまた難しく感じるようになった。

 

自分で自分のケツを持てるか、ケツを持てる精神状態でいられるか。生きることはひどく難しい。

 

 

缶のコーンを汁と一緒に鍋にいれる。鶏がらスープをいれる。だし醤油をひと垂らしする。溶き卵を回し入れる。卵を溶いた容器に片栗粉を入れ水で溶く。とろみをつける。スープというには少しとろみをつけすぎたかもしれない。まぁいい、暖房をいれていないキッチンで食べるにはとろみが強く保熱してるくらいがちょうどいい。

葛餅にきな粉と黒蜜をかけて食べる。きな粉は塩を味わうための食べ物だなと思った。引き締めがあるから美味しい